ねっとりとネット

ねっとりとこびりついた「ねっとり」をねっとりと、ネットへくっつけるネット。

みんなが忘れてしまっても、ぼくだけは覚えておきたいこと。

さて、
どんなヒトに憧れるんだろうか?

 

 みんなが忘れてしまっても、ぼくだけは覚えておきたいこと。

奈良美智さんのツイート

いつの間にか一生懸命になって絵を描くようになったが、じっくり振り返るように考えてみると、絵を描くこと(美術作家)自体が目的ではなくて、うまく言えないが「自由な人」みたいになのに憧れて生きてきたんだと思う。

続き

そうすると、絵を描いてきたことで置き去りになっていた「ほんとにやりたいこと」がおぼろげに見えてきた感がある。

 

・・・とここまで文字を打っていて、こういうのはTwitterではなくnoteを使えばいいんだ!と気がついた。それでnoteを始めようと思ったんだっけ。

続き

noteは、夏前頃までには、今まで書いた文章もマガジンに入れて整理して、制作日記や旅日記、とかやっていこうと思ってる。

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 「えっ?奈良さんnoteやってたの!?知らなかった!!」上手いこと宣伝になってるんだけど、それは置いといて奈良さんのツイート。

 『一生懸命になって絵を描くようになった』ことと『「自由な人」みたいになのに憧れて生きてきたんだと思う』こととの間には「絵を描くヒト・美術作家って自由そうだな、自分もそんなヒトになりたいな」と意識的な行動があったのだろうか?「いつの間にか」と言ってるくらいだから強い意志があったわけではなさそうだ。しかし、奈良さんの作品、そしてご本人からはFreePeaceな想いが伝わってくるのだから、奈良さんの根底にあるものはそういうものなのだろう。

 絵を描いてきたことで置き去りになっていた「ほんとにやりたいこと」って一体なんなんだろう?「自由な人」になること?もう自由な人ではあるとは思うけど(自由であることに限界はない)まだなにかあるのかしら?

 ぼくはなにもしたくないし、なににもなりたくはない。けどそれって奈良さんの言うように『「自由な人」みたいになのに憧れて生きてきた』のと同じだ。ぼくもつくり続けよう。

 このことについての続きのnoteがあったら読みたい。

 

それではお先に~。(失礼します!)