さて、
間違えなく彼らは安らかに眠っていると。
『小早川秋聲 ー無限のひろがりと寂けさとー』
2019年08月31日(土)~9月16日(月・祝)
加島美術戦争画で知られる日本画家・小早川秋聲(Kobayakawa Syuusei)。戦争画の他に、豊富な海外渡航が活かされた風景画や意欲的な宗教画etc…の作品群。
みどころ
- 関東圏で初めてとなる小早川秋聲の展覧会
なぜ初なのかと言うと当時の画家としては珍しく、画壇に属さず、画商にも通さなかったので資料の少ない画家だからだ。- 『國之楯』の展示
彼はこの絵を陸軍の依頼を受けて描いた。しかし完成した絵は軍から受け取りを拒まれた。『国之楯』は異色の戦争画。
お豆ヌキノート
『日曜美術館「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」』みて。
戦争画の役割
- 戦争の状況を伝えるため。
- 国民の戦争に対する士気を高めるため。
戦場での日本軍の活躍や勇姿を描かなくてはならない。しかし戦争画は必ずしも真実を伝えるているものではない。本来の戦場で日本兵の死体が倒れている場合でも、死体などのマイナスな要素は描かないが暗黙の了解だ。
『国之楯』が陸軍に受け取りを拒まれたのはその点にある(しかしこんなに堂々と日本兵の遺体を描いて当時、非国民扱いされなかったんだろうか?)。
加島美術
Googleマップ
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『國之楯』を前にして。つまりですね、静かに眠っている目覚めることの無い日本兵を前にして。
まず、この絵は「戦争で亡くなった日本兵の遺体」が描かれている、と仮定します。故人の顔を伏せるための白い布には寄せ書きされた国旗が使用されている点、胸の前に組んだ手からそのように考えることは間違いでは無いと思います。
画面左側を頭にして寝ている日本兵は「あれ?実物の成人男性より少し大きく描いてなるのかな?」と思う。分厚い手袋や固そうな軍隊用の靴、そしてしっかりと体に馴染んだ軍服のせいで少し大きく見えるのかもしれない。実際に誇張して描かれているのかもしれない。しかし彼の横で寝そべっているぼくの姿を想像すると「実際こんくらいの寝姿になるな」と感じる。ちなみにぼくの身長は173㎝ですが、ぼくより少し大きい。ずっしりと柔らかな命の重さを感じる。しかし、実物大の成人男性、日本兵が描かれている。
『國之楯』は本来の戦争画の役割も担っている。日本兵の遺体を描きながらも、お国の盾として戦った兵士を賞賛している、一歩踏み込んだ戦争画だ。その賞賛は「国の為に死んで立派だ」と言うのでは無く、「痛かっただろうし辛かっただろうし、本当にお疲れ様」と言う慈悲ではないだろうか?そして、圧倒的な悲しみと追悼だ。それは戦場で傷ついて亡くなった兵士、そして残された家族に対しての小早川秋聲からの想いではないだろうか。間違えなく彼らは安らかに眠っていると。そして、二度と日本人が国の盾として命を落とさないように願い、戦争を繰り返さないと言う強い想いだ。戦争と決別している。
さらに、目の前に横たわる日本兵は全ての日本兵であり、小早川秋聲の本人ではないかと思う。ある意味自画像である。自画像と言っても、顔は国旗が被さっていて見ることはできない。彼は戦死していない。この絵を当時描くことによって「日本兵であり戦争画家である小早川秋聲を自らの手で葬った」のではないだろうか?戦争を直視しながらも、その終わりを示す為に。
ぼくたちはまたこのような絵が新たに描かれないことを真剣に考えていなければならない。寂けさの中に横たわる日本兵はそう祈っているようにも見える。
p.s...
- 柔らかな絵
どの絵も画面から伝わってくる空気がとても柔らかい。
特に線が柔らかく。掴んだら消えてしまいそうな強度と温度をしている。 - 修復の跡
『國之楯』の日本兵の周りには当初、桜が描かれていたのではかと言われている。その証拠が黒く塗られてはいるが桜の雌しべと雄しべの先端部分が浮き上がって見えるからだ。
参照
end...
それではお先に(失礼します)!!
天貫勇