季節は秋、芸術の、食欲の、読書の、そして、天高く馬肥ゆる秋
馬肥ゆる。。。馬といえば、『サラブレッド』という映画を観た
ミチル
スペース・コインランドリー映写室
11月号
< 『サラブレッド
(原題:Thoroughbreds)』>
2017年にアメリカ合衆国で公開されたスリラー映画。
before incident / あらすじ
長年疎遠だった幼馴染みの少女アマンダ(無感情)とリリー(感情的)は、コネティカット州の郊外で再会する。
鋭いウィットを磨いて強烈な個性を育んだアマンダは、そのせいで社会からのけ者にされていた。一方、上品で洗練された上流階級のティーンエイジャーに成長したリリーは、名門校に通いながら一流企業でのインターンも経験していた。全くの正反対に思えた二人は、リリーが抑圧的な継父を憎んでいると発覚した事がきっかけで心を通わせていくが、友情が深まるにつれて互いの凶暴な性格が顔を出し始める。やがて、自分達の人生を軌道修正する為、二人はドラッグの売人ティム(共犯者)を雇い、継父の殺害を依頼するが・・・。
after incident / 以下、ネタばらし含む
結局ティムは役に立たず、リリーは自分の手を汚す。そしてアマンダを身代わりにして生き直す。
ここからは、映画を観ての印象とその後の妄想―
終盤のアマンダとリリーのあまりの急激な変わりように、人格の入れ替わり説や同一人物説も見かける中、ここはあえての「アマンダが実は馬だった」説。
元々、アマンダはサラブレッド種の馬で、人間の姿は擬人化されたビジュアルだった、ということ。
まず、ポスターの2人は同じようなトーンの肌色に見えるけれど、映像の中のアマンダはリリーに比べ肌色は浅黒い。感情を映さない揺らぎのない黒い瞳が馬のそれと重なり、センターパートのブラウンの髪は次第に鬣に見えてくる。冒頭、アマンダと茶色い馬が向き合うシーンがある。あれは真の姿のミラーリング的ビジュアルにも見える。アマンダは今までに何も感じたことがないと言う。アマンダがもし牝馬なら、人間の喜怒哀楽に共感できずとも尤もな話と言える。
事件後の施設でアマンダが描く馬の絵は自画像で、喉の検査の嘶きはその仄めかし、延々と同じモチーフを繰り返し編み出すアマンダの編み物は脈々と受け継がれるサラブレッドのDNAにも思える。そして最後のほほえみは、人間界へ連れ出されていた馬が本来の世界へ戻ってこられたためと見えなくもない。
使われている音楽も独特で、ムードを盛り上げるサントラというよりも低音やリズムが際立ち、サラブレッドの体内を駆け巡る血液の循環や、心臓の鼓動を思わせる。
日本語では単に『サラブレッド』というタイトルは、原題では単数から複数に変更されたらしい。
2017年1月のプレミア上映時には『Thoroughbred』というタイトルが、同年10月『Thoroughbreds』に変更されたとのこと。これは主人公=馬から、サラブレッド種の馬と人間界のサラブレッドの両者を主役とみなした故なのかもと言ったら穿ちすぎだろうか。
アマンダとリリーをつなぐ共通点の推測―
アマンダはサラブレッド(同族)を殺している、リリーも親族(実父)を殺していたとしたら?
アマンダはかつて馬(サラブレッド)を殺したと告白している。最終的には首の骨を折って。
リリーの実父については語られず、豪華な家も裕福な生活も誰からもたらされているのか定かではないけれど、もしリリーが人間界のサラブレッドとして更なる高みを目指すため、さらなる富を得るために、過去に実父を殺害し、更に継父をも亡き者にしようとしているとしたら。
彼女たちは、同族殺しで繋がっている。
「無能や不親切や悪人よりタチが悪いのが優柔不断なこと」アマンダ
何ごとも、やるならば迷いなく。なんて言いつつその実、そこに込められた意味なんて無いのかもしれない。
『サラブレッド(原題:Thoroughbreds)』の感想に載せて。
【映画パンフレット】 サラブレッド 監督 コリー・フィンリー キャスト オリビア・クック, アニヤ・テイラー=ジョイ, アントン・イェルチン,
a writer:ミチル
属性:Sexually fluid
白玉という名の猫を妄想で飼っている
▼ Written by MICHIRU▼