枕を変えて、青魚をもっと食べようと思った、2020年9月のアレコレ。
ミチル
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- < 社会学者の小説と幼少期の甘やかさ >
- 【 図書室 】
- 【 視聴覚室 】
- 芸術の秋、まだまだ goes on.
- ▼ Written by MICHIRU:過去記事▼
- Written by ISAMU <パラサイト・コインパーキング編集部>
スペース・コインランドリー図書室 & 視聴覚室
< 社会学者の小説と幼少期の甘やかさ >
今回はワード的シンクロというよりも系統的なシンクロニシティ。
【 図書室 】
まずは、
「社会学者の書いた小説」
描かれるのは、孤独、貧困、死、家族、喪失感や閉塞感。だけどきっと、生きていれば何とかなる。
「奈落:仏教における地獄。また地獄に落ちること。」これはまさにそれだ。
ロックドイン、身勝手な家族、仄かな希望さえ断ち切られる現実。安楽死についても考えさせられる。
タクシー運転手、清掃作業員、コンビニ店員、工場や現場の派遣や日雇い労働者、ガールズバーの店員や美容師。
それぞれの人生がありそれぞれの孤独がある。けれど語り手が変わっても、同じ色彩で続くモノローグに滲み出る寂しさ。
続いて、
「幼少期の甘やかな願望や記憶」
それぞれの主人公の幼き日の親のおもかげや親への思慕。戻れない悲しみと、思い出せる幸福。『どんぐり姉妹』の妹の回想に引きずられ、子供時代を懐かしく思い出し切なくなる。
(以下、作品より抜粋)
「お腹いっぱいで、少し冷えた体で家に帰っていく道は、この世のどんな道よりも平凡で退屈に思えた。なのに、やっぱり一日でいいから、あの日に戻って、ピクニックの帰り道のうす闇の中を家族で歩きたいと思う。」
(以下、作品より抜粋、※女=母親)
「おれの姿に気づくと女は、とろけるような笑顔になった。それを見ておれは泣きそうになる。もう大丈夫だ、と心底ほっとして膝から崩れそうになる。そのときにはもう、暖かい家の中で女の膝に顔をうずめ、甘いお菓子を口いっぱい頬ばりたいという欲望ではちきれそうになっている。」
その他、読んだ本。
ジェンダーレスな「波間に浮かぶイエロー」が好み。5話収録の短編集。
吉祥寺のスーパーが結成したお笑い芸人の「実業団」の話。
もうタイトルからしてお笑い絡みの話なのだろうと。個人的には春山の復活がツボで泣ける。うつけもいい味出してる。ドラマ化や映画化されたら間違いなくビートたけしの『浅草キッド』が流れることでしょう。見てみたい。
訳ありな女性オーナーが営む、アラ還のくせ者男性たちが集うシェアハウスR55。人生の一時期にこんな緩い共同生活があってもいい。中高年青春小説とは、言い得て妙。
欲望とか恋とか大人の都合とか。桐原、由井、加奈子の関係性がドラマ『中学聖日記』と重なる。桐原がドリアのひと口目を由井にあげる場面が心に残る。再会して欲しい、と最後の手紙を読んで思う。
今持っているものの中から選ばれた「いちばんセクシー」「いちばんリラックスできる」「いちばんお気に入り」の様々な色や形のパンティたち。
母親・友人からのプレゼントや自分で縫ったものなど、繊細でカラフルなパンティのドローイングに目を奪われる。100人取材したなかから33人分を掲載とのことで、続編にも期待。自分で縫うパンティに興味アリ。
ナマケモノを迎え猫と寝そべり、サウナやプールに足繁く通い、いい夫婦の日にスルッと結婚。亭主持ちになった壇蜜嬢の今後の日記も楽しみに待つ。
渋谷区役所、港区役所、渋谷税務署の三か所への支払いに汲々としながら、生活保護を受けつつ美容整形に注ぎ込む女たちに憤る女王様。税金を払っているのがバカバカしくなるのも、御尤も。
奇行の多い問題児・橙子が抱えるある秘密。主人公は橙子だけれど、それより母親である芳子の抱えているものの方が気になる。前作の桐原と今作のヤマオ、ともに大柄なのは著者の好みか。作中に出てくる4人で観た映画はたぶん『es』。
久々に読む怪談話。書き下ろしの最終章「写真」を除くと、バスに乗り込むところで終わる「宮竹さん」から既にバスの中にいる「窓」までの間をずっとループしているような読後感にゾクゾクする。
フジモト氏の描く動物たちが好き。とくにマレーバクの赤ちゃんが大変自分好みだったことを知る。この柄やフォルム、たまらない。ぬいぐるみが欲しい。
【 視聴覚室 】
9月中に小さな画面で観た映画たち。技術の進化って素晴らしい!笑
『誰も知らない』 (2004年/日本)
1988年に発生した巣鴨子供置き去り事件を題材として、映像化。
彼らが虐げられて、悲惨な生活を送っていることも、あまつさえこの世に存在していることすら、誰も知らない。
『マンイーター』 (2007年/オーストラリア)
オーストラリアのカカドゥ国立公園が舞台の巨大人喰いワニ・パニックムービー。
巨大人喰いザメ系映画は多々あれど、ワニ系の映画はあまり見かけない気がする。動きがぎこちなかろうが、巨大ワニが出てくるだけで満足。
『欲動』 (2014年/日本)
バリ島オールロケの日本映画。
バリは日本よりも生と死の距離が近いように感じる(ように描かれている)。斎藤工の裸の背中をはじめてじっくり見た、気がする。
『インセプション』 (2010年/アメリカ)
他人の夢に潜入し、アイデアや情報を盗んだり、逆になにかを植え付けて暗示をかけたり。
夢の中の夢の中の夢の中の、さらにまたその夢の中。本人ですら制御不能な深層心理の中での駆け引き。うっかりすると置いて行かれそうな展開に目が離せない。
以前読んだ、西多昌規:著『悪夢障害』の中でも触れられていたこの映画、堪能した。
『家族ごっこ』 (2015年/日本)
どこかズレた5組の家族を描くオムニバス作品。
多額の借金を抱えた見ず知らずの4人が集められ1年間家族として暮らすことを強いられる「鈴木ごっこ」、ニート一家が貧乏から抜け出すためにホラー映画の撮影を始めるも思わぬ方向へと引きずられる「高橋マニア」。ブラック要素強めのこの2つが好み。
芸術の秋、まだまだ goes on.
finish
▼筆者紹介▼
- a writer:ミチル
- 属性:Sexually fluid
- ペット:白玉という名の猫を妄想で飼っている
▼ Written by MICHIRU:過去記事▼
www.netritonet.com
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Written by ISAMU <パラサイト・コインパーキング編集部>
記事の執筆ありがとうございました。
「枕を変えて、青魚をもっと食べようと思った」と何故ゆえ枕が変わり、どんな高さ・固さの枕になったのか?何故ゆえ青魚をもっと食べたようと思ったのか?謎に包まれたスタートの本記事。前回の記事から1週間以内の更新。9月は枕と青魚によって快適な日々を過ごされたのでしょうか?それとも今この瞬間に書き残さなけらばいけない切迫した理由があったのでしょうか?
「社会学者の書いた小説」は社会学的 or 社会学者的なのだろうか?
社会学と小説って相反するところに位置しているような方向性は同じような分野ですね。数学者が小説を書くってなるとあからさまに逆分野と言えそうですが。
振り返ってみると僕は「社会学者の書いた小説」を多分読んだことがありません。
手始めに古市氏の作品を読むのが良さそうな気がする。
と言うのも
こちらを以前に読んだことがあるので、彼が伝えたいことが(あれば)なんとなく受け止めることができるような気がします。
社会学者の書く小説は面白いだろうフィルターを除去するようにします。
p.s...
- 『インセプション』と言えばクリストファー・ノーラン 監督!
でもって今まさに『TENET』!!
- 斎藤工は僕の中ではどちらかと言えば何故か「はだけキャラ」です。笑
つまり「裸の背中をはじめてじっくり見た」のは意外でした。笑
ぬっきー