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「ぼくは農民たちが畑を耕すように、ぼくはカンバスを耕しているのです」【新美の巨人たち『ゴッホ「糸杉」 <Art Traveler>片桐仁』】ヌキノート・天貫勇

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とくになんもしたくないな。
さて、
「ぼくは農民たちが畑を耕すように、ぼくはカンバスを耕しているのです」

 

ゴッホ「糸杉」 <Art Traveler>片桐仁

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Cypresses (Metropolitan Museum of Art) - Wikipedia

 

 

ゴッホ「糸杉」

 

「色のついた粘土で形作られているのではないか?白米の上に盛られたごはんですよ?」と思うほど厚塗りの油絵の具。1cmくらい盛り上がっているのではないでしょうか?

燃え上がるような筆の轍。うねり、のたうち、もだえ、苦悩の渦に飲み込まれそうな画家『フィンセント・ファン・ゴッホ』の叫び聞こえてきます。

画面を観れば、何が描かれているのかは簡単に理解できます。

  • 糸杉
  • 空・雲・月

そんなことは分かりきっているけれど簡単には説明つかない。それだけでは圧倒的に不足しています。

  • 糸杉:
    先端が画面から飛び出しています。どれくらいの高さかのか?
    そして後ろには何本の糸杉が並んでいるのだろうか?
    1本の糸杉だけでもトトロの森のような深さを感じます。

  • 草:
    ボウボウに伸び切っていて人の侵入を拒むようです。

  • 山:
    氷のようにひんやりとしていそう。しかし雪山ではなさそう。

  • 空・雲・月:
    爽快な青空。かと思えば月があり、夜なのか?昼なのか謎。
    夏の終わりを感じさせるようなモクモクと大きな入道雲のような雲。

時期や時間、情景がよく分からない。見れば見るほど引き込まれそうな蠢く画面。しかし近づくと徹底的に拒絶されるようでもあります。 なんだか不穏だけれども、水々しい筆さばきにが心を鎮めてくれます。

 

ゴッホと糸杉

オランダのズンデルト。1853年、牧師の家にゴッホは生まれました。

ゴッホは父のような牧師になることを志します。「自分も神の言葉を語りたい、貧しい農民たちに救いの手を差し伸べるようになりたい」と思うも挫折。勉強ができなかったようです。(他にも叔父の画廊で手伝いや、伝道師を目指すも生真面目な性格が邪魔をして断念)。

「絶望」「焦り」の中で追い詰められて27歳で絵を描き始めます。別に絵が好きだったわけではないようです。最終的に行き着いたのが画家になることでした。

そして35歳になって絵を学ぶためパリへ向かいます。

当時のパリは印象派が主流でしたがゴッホはそこでは『浮世絵』に出会う。かなり浮世絵にのめり込んだようで、絵にも影響が伺えます(もちろん当初は印象派からも影響を受けます)。

ゴッホVoice

  • 「日本の芸術を研究すると紛れもなく賢明で達観していて知性の優れた人物に出会う。彼が研究するにはたった一茎の草だ」

  • 「あたかも己自己が花であるかのごとく、自然の中に生きるこれらの日本人がわれわれに教えてくれることこそ、もうほとんど新しい宗教ではあるまいか」

 

その後、パリからアルルへ。

『黄色い家』と呼ばれるアパートで画家:ゴーギャンと暮らし始めます。しかしお互いの個性がぶつかり合い、その共同生活はわずか2ヶ月で破綻してしまいます。

そのこともあってか精神状態がおかしかったゴッホは「自分の耳を切り落とす」奇行をかまします。リストカットではなくイヤーカット。死ぬ気ではなかったのでしょうか?包帯で耳を押さえてる自画像があります。

ja.wikipedia.org

包帯をしてパイプをくわえた自画像 - Wikipedia

 

もうそんなんだからどうしようもなくなってしまったので、心身の療養のためにサン・レミ(村)にある「サン・ポール・ド・モーゾール精神科療養所(修道院)」に入ります。そこでは絵にも打ち込みます。

その療養所の近くを散歩している時に出会ったのが、季節風から大地を守るための植えられていた「糸杉」だったのです。そのあたりの道は現在では『ゴッホの散歩道』と呼ばれているそうです。

 

祈りと救済

ゴッホの画業は10年ほどです(短く感じます)。『糸杉』彼が亡くなる1年程前の作品です(1889年・縦93.4cm×横74.0cm・現在メトロポリタン美術館蔵)。

ゴッホVoice

 「もうずっと糸杉のことで頭がいっぱいだ。ひまわりの絵のようになんとかものにしたいと思い」

 と言うほど糸杉には異常な執着があったようで『星月夜』『星月夜と糸杉のある道』にも糸杉は描かれています。

 なぜそんなにも糸杉に引かれたのか?

それは糸杉から教会の尖塔のインスピレーションを受けたのではないかと考えられます。

ゴッホは絵を描き始めた頃から教会の尖塔を描いている。

教会の尖塔と自然の中にある糸杉の姿をがリンクした。そして空に向かって手を伸ばしているような形そのものがゴッホの心に響いて、自分を動かしている偉大なものとの繋がりをそこに求めたのではないか?

ゴッホVoice

  • 「ぼくのような苦しみの多い人間は自分よりも偉大ななにか無しにはやっていけない。それがぼくの生であり創造の力だ」

 ゴッホは苦悩の多い人間であったようです。悶々と鬱々とひとりで考え込んじゃうタイプだったのではないでしょうか? 

 そして世界のあり方、人間のあり方、宇宙のあり方、そういうのを表すのが絵の仕事だと気が付いて、真の画家、天才画家になったのだ。牧師にはなれなかったが絵を描くことは祈りそのものであり、その行為が農民や貧しい人々への救済になりました。

ゴッホVoice

「ぼくは農民たちが畑を耕すように、ぼくはカンバスを耕しているのです」

 

 *

ぼくらの役割はそれぞれ異なっている、と思わせられます。

ある人は医師として病気や怪我をした患者を診察することかもしれない。ある人は四角いカバンに食べ物を入れて自転車で配達することかもしれない。 ある人は駅前でギターを弾きながら歌うことかもしれない。ある人はしょうもないブログを書くことかもしれない。

 

  

参照

bijutsutecho.com

ゴッホの人生を変えた出会いに迫る。今秋開催、「ゴッホ展」の見どころとは?|美術手帖

 

 p.s...

当初から自画像を描き続けていたゴッホだが糸杉と出会って、糸杉を描くようになってから自画像を描くのをピタリとやめた。糸杉はゴッホの自画像とも考えられませんか?

 

 

さらに、

サイエンスZERO「宇宙夜話#3 芸術家×科学者 宇宙の美に迫れ!」

www4.nhk.or.jp

サイエンスZERO - NHK

 

ゴッホの『星月夜』が 話題にされていて、 

『糸杉』の作品と同様にゴッホタッチが画面を埋め尽くしています。左側の糸杉、右上の三日月、そしてだんとつで不吉にうごめく中心のある「渦巻き」。 

この渦巻きにはいくつかの憶測がありますが「実際に存在する銀河なのではないか?」ひとつの説です。
「実際に存在する銀河」=『M51銀河』ではないのかと考えられています。
この銀河は子持ち銀河と呼ばれ、大きい銀河と小さい銀河が折り重なってできています。

1880年にM51銀河が観測されたことの発表があった(この辺の年数は曖昧)。

1845年ウィリアム・パーソンズによって反射望遠鏡が完成。

鏡の口径:1.8m
筒の長さ:17m
重さ:10t 

『星月夜』が描かれたのは1889年。
ゴッホはウィリアム・パーソンズが残したM51銀河のスケッチを見た可能性がある。

  • インスピレーションを受けて描いた。
  • M51銀河を想像し描いた。
  • ゴッホの目にはM51銀河見えていた。

etc...

科学も芸術も人間の好奇心・探究心があるから新しい発見に出会えるんだよね、って会でした。

 

 

end...

 

それではお先に(失礼します)!!

天貫勇

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文化的オムニボア・ボヘミアンブロガーの天貫勇の超個人的な記録ブログです。

書かれていることの信憑性・精度は保証できませんので、ある意味フィクションだと思って読んで頂けると助かります(特にテレビ番組のブログですと、殴り書きのノートをもとに、自分で書いときながら読めなくなった肉筆を解読してブログを書いていますので怪しい情報だらけです)。

誤りはなるべく訂正したいので間違いっている箇所があれば優しく教えて頂けると有り難いです。

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