とくになんもしたくないな。
さて、
『完璧な作品よりも率直な作品を見て下さい』
日曜美術館
「マネ 最後の傑作の秘密~フォリー=ベルジェールのバー~」
新美の巨人たち
マネ「フォリー=ベルジェールのバー」
日曜美術館、新美の巨人たちの両番組でマネ『フォリー=ベルジェールのバー』を紹介していたのでひとつのブログにまとめてます。
フォリー=ベルジェール
「フォリー=ベルジェール」は1869年に開館した今もなお、パリ9区にある音楽ホールです。パリ9区にと言うのは日本の「浅草」のようなところ(らしい)。
開館した1869年頃というのは『パリ大改造』と呼ばれる大規模な都市整備が行われ、パリは近代都市へと生まれ変わりました。現在のパリの街並みができたのもこの大改造が行われた成果です。
なぜパリ大改造が行われたか?
街が汚れ、疫病が発症していた当時のパリ。インフラを整備する目的がありましたが、時代の流れが大きく関係しています。
産業革命後、さらなる経済発展するためにパリを活性化させる必要がありました。街を整備することで人々を娯楽と消費経済に漬け込むことが狙いです。
そうして迎えた時代が『ベル・エポック』。華やかな時代です。
パリ・コミューンにるプロレタリアートの独裁が起き、全ての階級の人が自由に意見を持ち発言できる時代にもなりました。
そんな時代に生まれた「フォリー=ベルジェール」は『パリの夜の社交場』だったわけです。
そこは音楽ホールでありながら
- アクロバット
- バレエ
- オペラ
- シャンソン
- エロティックショー(ストリップ的なショー?)
- ボクシング(なぜかカンガルーとボクシングしているおじさんのポスター)
- フレンチカンカン
- サーカス
etc...とにかくお客さんを集めるためにありとあらゆる模様しものが行われていたようです。
バーメイド
表向きはそのような娯楽の明るい場でしたが、やはり夜の社交場となると下心がうごめきます。そのため「フォリー=ベルジェール」は『売春斡旋所』としての役割も果たしていました(現在はどうなんだろうか?)。
絵の話に戻ります。
『フォリー=ベルジェールのバー』の中央に描かれている女性はバーメイドです。
お客さんにお酒を振る舞うバーテンダー。しかし一般的なバーテンダーと異なるのは、ここでのバーメイドはバーメイドでありながら「娼婦」でもありました。
つまり「フォリー=ベルジェール」の商品でもあったと言う訳です。
そのバーメイドはなにを考えているのだろう?
表情は無表情のような、単純な解釈を拒むかのような喜怒哀楽に当てはめることができない表情。表情を読み取ることもできなければ、心の中を推測することもできない。だだなんとなく伝わってくるのは賑やかな音楽ホールのバーにいるはずなのに、疎外されひとりぼっちであるかのようです。
(このバーメイドにはモデルがいて、シュゾンと言う実在の人物)
バーメイドの後ろ一面の鏡
バーメイドはカウンターに立っています。その後ろには大きな鏡があります。
その鏡には「フォリー=ベルジェール」の様子が映り込んでいます。
右側にはバーメイド自身の背中と男性客(なにか注文しに来たのだろうか?バーメイドの品定めをしているのか?)。
全面に2階席が映る。ショーを観に来た様々な階級の人々が集まります。
左上に空中ブランコから垂れる二本の足が見えるます。空中ブランコに乗る役目は体の軽い少女に託される。大概に置いてそのような少女は貧しい。
バーメイドは鏡の正面に立っている。バーは1階にある。
物理的におかしなことが鏡の中で起きている。
バーメイドの腕が長く太い。
鏡に映る彼女の姿は、絵のようには映らない。バーメイドは正面に立ってるので本来ならバーメイドのちょうど真後ろにその姿は映るはずです。正面の視点と画面向かって右からの視点が混在しています。
カウンターのお酒のボトルの位置もちぐはぐ。
そして2階席が映り込むのはありえない!
絵の解釈は自由
- 階級構造の華やかさとカゲ。
- マネはパリの女性像、すなわちパリの象徴を描き出した。
- 繁栄の逆。目を向けたく無いそこにある現実。
- 映し出される現実。
- 隠されているパリの事実。
- 構図は無視して絵の中心にしっかりと女性を立たせることで、その存在感を強めたかった。内面的でありながら力強さを感じさせる。
- 19世紀末は暮らし、生き方まで激変した時代。
- 様々な視点を断片的に描くことで、世界の本質とは調和できない現実である。ことを描いた?
- 現代:絶対的な価値観の喪失、バラバラ。
- 新しい近代美は一瞬の美。
- 現実を再構成する。
- 孤独と孤立。
- 2つの時間軸が描かれていて、一人の人間の自我の分裂。
*
この絵の前に立つことで、ぼくはバーメイドになる。
バーメイドになったぼくは自分自身と向き合う。
まるで鏡で自分の顔を見るように。
ぼくらはすでに鏡の中にいる。
目の前に立っている表情を無くしたかようなバーメイドは孤独なぼく。
鏡の外にも、もちろんぼくがいる。
華やかに見える(ような)世界で生きている(ような)ぼくがいる。
自分では見たこともない表情でシルクハットの男の接客をする。
実は今ここに立っているぼくの後ろには世界があって、
直視するのを拒むかのように絵の前にいる。
ボートレールVoice
- 『現代性とは一時的でうつろいやすく、偶発的な物だが、そんな人間の生活の中から神秘的な美しさを取り出さなければならない』
近代人の虚しさ。
ステファヌ・マラルメVoice
- 『現在とは一瞬でうつろいゆくもので、再現することはできない。芸術家はそこからなにかを見つけ新たに創造しなくてはならない』
マネVoice
- 『私たちに残された途はただ一つ、徹底的に現在に執着すること。この世に執着することである。日常生活の一つ一つに熱い眼差しを注ぐうちに、何でもない物が次第に精彩を放つようになる』
- それ自体に魅力がある、描写ではなく、暗示すること、ほのめかすこと。
(文章の魅力) - 目の前の物に集中、凝視。なんでもないつまらないもの、それを捉え表現する。
- 『完璧な作品よりも率直な作品を見て下さい』
『草上の昼食』
『オランピア』
end...
それではお先に(失礼します)!!
天貫勇
ヌキノートは、
文化的オムニボア・ボヘミアンブロガーの天貫勇の超個人的な記録ブログです。
書かれていることの信憑性・精度は保証できませんので、ある意味フィクションだと思って読んで頂けると助かります(特にテレビ番組のブログですと、殴り書きのノートをもとに、自分で書いときながら読めなくなった肉筆を解読してブログを書いていますので怪しい情報だらけです)。
誤りはなるべく訂正したいので間違いっている箇所があれば優しく教えて頂けると有り難いです。