さて、
それがアート、それが人生。
日曜美術館
「秋野亥左牟 辺境の向こう側を見た男」
秋野亥左牟 Akino Isamu
30歳で初めて絵を描き始めた。
そして民話や伝承をもとにしてた10冊の絵本を残しました。
その他に絵巻の作品もあります。
10歳の時に終戦を迎えます。
青年なってからは共産党の活動に参加し、火炎瓶を投げたこともあるそうです。
その後、旅に出ます。
そしてインド、ネパールで出会った「チベット仏教の曼荼羅」を見たのをキッカケに、日本画家である母:秋野不矩(Akino Fuku)から譲り受けた岩絵具で絵を描き始めます。
日本人が描いたとは思えない先住民のアートのようなレベル、ニオイ、センスが溢れる作品。
作った絵や笛を売りながら旅を続けます。
シベリア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカetc...世界で新しい生き方を探る若者達に出会い、世界のヒッピーカルチャーを知ります。
理想郷を求めコミューンを建設するも、1年半で崩壊してしまたこともあるそうです。
40代、カナダで妻となる和子氏に出会います。
彼女の妊娠を機に帰国。
「僅かな収入でも暮らせる」噂をもとに沖縄県八重山、小浜島へ。
天と地の間で身ひとつで生きられるような生活が始まります。
亥左牟Voice(1)
『張り切ってタコを捕ろうと思ってもタコは見つからない
そういうとき僕は人間、絶対にタコは見えない
そういう欲望に支配されないで漁に行くと
僕は海になってしまう、タコになってしまう
そうするとタコがいっぱいいる
次々にタコにあう、そういう日は名人』
その後は日本各地を転々とし個展と旅の経験を語る。
絵本を描くために68歳での旅。
何を求めて旅を続けたか?
なぜ絵を描いたか?
自分を知るため?何かを伝えるため?
亥左牟Voice(2)
『僕の旅の実体と言うのは自分の身につけた現代文明をひとつひとつはぎとって裸になる経歴と自尊心をぬぎ捨てて行くものでした。まだ裸になれてないし、行く先々で身につけてしまう。でも、たえずそれを捨てて、そのことで自由になる。』
肩書き
肩書きは分かりやすく簡単に言うと「旅人」で「絵本作家」。
しかし秋野氏に親しい方々がおっしゃるには
- 聖なる野蛮人
- 世界人
- 宇宙人
- 限りなく大きいところを見ていた人
そもそも肩書きなんかなくて彼の存在は「亥左牟」としか言い表せないといった感じでした。
日美の反響
end...
それではお先に(失礼します)!!
おおぬ菌
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こちらは、文化的オムニボア・ボヘミアンブロガーのおおぬ菌の超個人的な記録ブログです。
書かれていることの信憑性・精度は保証できませんので、ある意味フィクションだと思って読んで頂けると助かります(特にテレビ番組のブログですと、殴り書きのノートをもとに、自分で書いときながら読めなくなった肉筆を解読してブログを書いていますので怪しい情報だらけです)。
誤りはなるべく訂正したいので間違いっている箇所があれば優しく教えて頂けると有り難いです。
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