最近あらすじをよく読まずに本を読む。その方が巻き込まれ感があって面白い気がすることもあり。
だからなのか、この本もタイトルの Mad をイギリス英語の気が狂う・頭がおかしいだと思っていて、自国に馴染まず好き勝手して手におえない移民たちを嘆くドイツ国民の話なのかと思っていたけれど予想は大きく外れていた。
ミチル
スペース・コインランドリー図書室
1月号
『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語/Madgermanes
ビルギット・ヴァイエ:著 山口侑紀:訳』
著者はドイツ人(白人女性)。3歳から19歳までをウガンダとケニアで過ごし、現在はフリーランスのイラストレーター、漫画家としてハンブルクに暮らしている。
<「故郷って、何だろう。」>
ここでいうマッドジャーマンズ(MID Germans)の「マッド」とは、メイド・イン・ドイツ(Made In Duits)=「ドイツ製」という意味。
1979年以降、東ドイツには2万人のモザンビーク人が住んでいた。「嫌」な仕事をするために。
何年も故郷から離れて、1990年に戻らねばならなくなったとき、彼らは自分の国で「よそ者」となっていた。彼らに浮かんだのは、自分が何者なのかという疑問。
そして本質的に、「故郷とは何か」という疑問。
彼らは、東ドイツという社会主義の「兄弟国」で、将来のエリートとなるための教育の機会が与えられるとしながらも、実際には職業を選択することもできず、寮で生活し、門限が決められ、ドイツ人との交流も制限されていた。さらには積立金という名目で給料の約60%が天引きされ、東ドイツから当時のモザンビーク政府に直接送金されていた。
モザンビークは1975年にポルトガルから独立したものの、その後も内戦が続き、子どもの誘拐や大規模な殺戮、レイプなどが繰り広げられる。こうした内戦中にマッドジャーマンズたちは国を脱している。将来のエリートになるはずだった彼らが帰国しても、内戦で疲弊した祖国が温かく迎えてくれることはなかった。
☆
著者は幾人ものマッドジャーマンズに取材をし、やがて彼らの話が架空の3人の人物に結晶した。
時代の流れに逆らわなかった者、流れを楽しんだ者、流れの中を毅然と泳いだ者の3人に。
1. ジョゼ:思い出は、盛りのついたメス犬のようなもの。
教師になりたいという夢を持ち、規則を守り勤勉に働き、共産党を疑うことなく支持し続ける。
東西ドイツ統一ムードで毎日敵意にさらされ、早期退職し9年ぶりに帰国。帰国後は党が準備してくれた仕事につき、内戦で家族のほとんどが殺されていたのを知っても、天引きされ続けた「積立金」が1円も戻ってこなくても、彼はいう。
「誰のことも非難したりしないよ。」
2. バジリオ:私の記憶は透きとおった湖、底まで見通すことができる。
ベルリンでもモザンビークと同じように過ごした。ファッション、女遊び、ベルリンは楽しかった。アタリを引いた、と思った。けれど、まもなくオレらは期間限定の出稼ぎにすぎないってことがハッキリした。もう、仕事にヤル気なんてない。できるだけたくさん楽しみたい。それがオレがドイツで「稼ぐ」ものだった。
東西ドイツ統一に向け差別がエスカレート、失職し、ビザが延長できず不法労働者に。その後、友人の助けを借り、帰国。「積立金」は戻ってこない。
「金が戻ってくるまで、水曜日のデモに参加しつづける。オレたちはあらゆる面で利用され、だまされてきた。オレはたたかい続けるぜ……!」
3. アナベラ:思い出は、ウニのようなもの。
女性の場合はさらに厳しい条件が付いていた。妊娠したら強制的に帰国か中絶させられる。
労働と勉強に明け暮れる日々の中、東西ドイツ統一に向け流れが変わり解雇されるも、内戦で政府軍、反乱軍の両方に家族を殺され、ドイツに残る決意をする。奔走の末、滞在許可が下り、突然、自由の身に。
ただの使い捨てにはなりたくないと大学で猛勉強し医師になり、ドイツ国籍を取得するも、
「本当の「ドイツ人」になることは一生ない。でも、モザンビークに帰りたいとは思わない。モザンビークに帰ったら、ただ自分を「よそ者」だと感じるでしょうね。」
異国で新しい人生をはじめた他のすべての移民たちと同じように、私も、どちらの国にも属していない。それでも私たちは、戻るか、戻らないかに関係なく、結びつきも、錨もなく、文化のはざまで、ゆらめく。
日本のコミックとはいささか手触りの違う、読み応えのあるグラフィックノベルだった。
『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語/Madgermanes ビルギット・ヴァイエ:著 山口侑紀:訳』の感想と共にゆらめく。
今回の図書
a writer:ミチル
属性:Sexually fluid
ペット:白玉という名の猫を妄想で飼っている
▼ Written by MICHIRU▼
Written by ISAMU <パラサイト・コインパーキング編集部>
「思い出とは 無限に用途が増えていく十徳ナイフのようだ。つまり∞徳ナイフです」
何かしらの緊急事態ーー普段、飲まないのに瓶ビールなんか買って来て、あると思っていた栓抜きがどこにも無く、ぬるくなるビールを前に絶望を味合わないように、僕は常にそのありとあらゆる『記憶=ナイフやらもの凄く小さなハサミやらネジネジのコルク抜きetc...』が収納されている十徳ナイフ(∞徳ナイフ)を持ち歩いています。
けれどもハッピーターン状のプラスティックと金属でできた塊を実務で使用することはほとんどありません。なので基本的には役に立ちません。ネジを閉めたい時には正真正銘の独立したプラスドライバーを持って来た方が簡単です。それに十徳ナイフなんかを真面目に持っている男子はダサいです。
それでも良いんです。握っていれば安心できる。あの時の悲しい記憶でできたナイフを引っ張り出して、ヒンヤリとした硬い感触を指先にあてて確認したり、その切れ味を反芻したり、いざ使う時の為にシミュレーションをひとりで寝る前にでも行います。そしてまたカチリと元に戻すわけです。
天貫勇「書評やレビューみたいなカッコイイものじゃ無くて良い」
▼気になる国外のグラフィックノベル▼